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東京高等裁判所 昭和34年(ネ)2541号 判決 1960年3月11日

控訴人(原告) 野沢貞夫

被控訴人(被告) 社会保険審査会

訴訟代理人 朝山崇 外一名

原審 東京地方昭和三三年(行)第一五六号

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は「原判決を取り消す。被控訴人が昭和三十二年九月三十日付で控訴人に対してした裁決を取り消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訟代理人は主文第一項と同趣旨の判決を求めた。

当事者双方の主張及び立証は原判決の事実摘示(但し、原判決二枚目表第一行、裏第四行、第十行、三枚目表第八行、五枚目表第一行目、第七行に「京浜自動車」とあるのは何れも「京浜自転車」の誤記と認められるから、そのとおり更正する。)と同じであるから、これを引用する。

理由

控訴人が訴外京浜自転車製作所及び田中製鍛工業株式会社退職後の昭和三十年九月九日東京都知事に対し建康保険の任意継続被保険者資格取得の申請をしたのに対し知事がその申請を承認しない旨を決定したので、控訴人が東京都社会保険審査官に審査の請求をしていれられず、更に、被控訴人に対し再審査の請求をし、被控訴人が昭和三十二年九月三十日付で控訴人の申立は立たない旨の裁決をしたことは当事者間に争がない。

しかして、本件の主要の争点は(一)昭和三三年法律第一二六号旧健康保険法(昭和三二年法律第四二号による改正前の建康保険法)第二十条第二項にいわゆる「正当の事由」は「法律の不知」を含むかどうか、(二)控訴人は果してその主張ように昭和三十年七月一日から同年九月五日まで田中製鍛工業株式会社に使用されていたものであるかどうかの二点であるから、次にこの二点について順次判断する。

(一)  前記健康保険法第二十六条第一項が、同法第十八条の規定により被保険者の資格を失つた者に対し継続して被保険者となろうとする申請、すなわちいわゆる任意継続被保険者資格取得の申請をすることを許すとともに、その申請期間を資格を失つた日から十日間と限定したのは、期間を長期とするときは、多くの者は申請を見送り、保険事故(疾病、負傷等)が発生するに及んで始めて申請をすることになり、いわゆる逆選択が行われ、かくては、危険の分散と相互扶助の原理の上に成立する健康保険の健全な発達と運営を期することはできないので、この逆選択を防止せんとする用意に出たものである。されば、十日の期間経過後の申請であつても、保険者において正当の事由があると認めるときは、その申請を受理することができる旨を規定した同条第二項は常に以上のことを念頭において運用されなければならないのであるが、もし「法律の不知」が右にいわゆる「正当の事由」にあたるとすると、逆選択の防止という法意は申請者の単なる主観的立場によつて没却されるに至るべきであるから、「法律の不知」は「正当の事由」にあたらないものと解するのが相当である(この正当の事由にあたるものとしては申請を外部的に妨げる天災、地変等が考えられる)。

これを要するに、控訴人の京浜自動車製作所退職の日がその主張のように昭和二十七年十月十六日であり、本件任意継続被保険者資格取得申請の日が先に認定したように、その後三年以上を経過した昭和三十年九月九日である以上、本件裁決が、右申請理由中控訴人が京浜自動車製作所に使用されていたことを前提とする点は、期間経過後の申請で理由がないとしたのは正当であつて、これを違法とする控訴人の主張は、進んで他の判断を加えるまでもなく、採用に由ないものといわなければならない。

(二)  控訴人は昭和三十年七月一日から同年九月五日まで田中製鍛工業株式会社に使用されていたと主張し、控訴人が昭和三十年七月一日から同年八月四日まで右会社に使用されていたことは被控訴人の認めるところである。よつて、控訴人はその後同年九月五日まで右会社に使用されていたことを立証すべきであるが、これを肯定するに足りる証拠はない。そして却つて、原審証人田中義雄の証言と弁論の全趣旨とを総合すると、右会社は昭和三十年七月一日控訴人を一応日給四百円、試の使用期間三カ月と定め研磨工として雇い入れた(右会社が昭和三十年七月一日控訴人を雇い入れたことは当事者間に争がない)が、間もなく他の工員から控訴人は仕事が下手で困るという苦情が出たので、控訴人に対し注意するとともに、日給を三百円台に減給したこと、しかし、他の工員の苦情は依然としてやまないばかりでなく、控訴人自身にも身体が衰弱して工場で倒れるというようなことがあつて先の見込がなくなつたので、右会社は同年八月上旬控訴人に対し雇傭契約を解除する旨を申し向け(試の使用期間中であるから、労働基準法による解雇予告の問題は起らない)、控訴人はこれを承諾し、爾来右会社と控訴人との間の使用関係は断絶したこと及び成立に争のない甲第三号証の証明書には、右会社は控訴人を昭和三十年七月一日から同年九月五日まで二カ月と五日間(但し、同年八月四日解雇予告)使用した旨の記載があるが、それは右会社の社長である前示証人において控訴人から右証明書の発行をしつこく求められ、止むをえないで真実に反して記載されたものであることが認められる。

そうすると、本件裁決が、控訴人の前記任意継続被保険者資格取得申請中同人の田中製鍛工業株式会社に使用されていたものであることを前提とする点について、控訴人の同会社に使用されていた期間は法定の二カ月に達しないのでその申請は理由がないとしたこともまた正当であることが明らかであるから、これを違法とする控訴人の主張は、これまた他の判断を待つまでもなく採用に値しないものといわなければならない。

これを要するに、本件裁決には控訴人主張のような違法の点はないから、その違法の存在を前提としてこれが取消を求める控訴人の本訴請求は失当として棄却すべく、これと同趣旨の原判決は正当であつて、本件控訴は理由がないから、民事訴訟法第三百八十四条第一項、第九十五条、第八十九条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 岡咲恕一 田中盈 土井王明)

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